東日本大震災から半年が経ちました。
午後2時46分、事務所で黙祷をいたしました。
これからも被災地のために自分に出来ることをコツコツと続けていきます。
一瞬で多くの方々の命を奪い、住まいや暮らしを奪った大震災。
政府による対応はご存じの通りで、
つい先日も新任大臣が信じ難い暴言を吐き、引責辞任しました。
思い遣りが少しでもあったなら…残念です。
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さて、ニューヨークで起きた9.11テロについて少しお話を。
私の存じ上げる方で、このテロで大事な息子さんを失った方がいらっしゃいます。
某都市銀行のNY支店長でいらしたその方は部下を避難させる途中、
急きょ事務所階に向かわれ、帰らぬ人となりました。
私はそのお父様とお会いしたとき、
さぞかし悲しまれていらっしゃることだろうと思い、
「アメリカへの怒りの巻き添えに遭われた。大体、アメリカ人は独善的過ぎます。
お気持ちお察しします」 ※1
等々と申したところ、
「君、アメリカ人は何々、○○人は何々と、ひと括りに論じるのはよくないことだよ」
とかえってたしなまれてしまいました。
ハンマーで頭を叩かれたような衝撃を心に受けました。
「自分は我が子を失っても同じことが言えるだろうか…」
日本人を見ても自覚できるように、“民族性”というのは存在します。
その日本人の中だけでも、実にいろいろな人がいます。
特定の出来事(テロ・戦争・事件・歴史…)について、
それが起きた国の国民・民族に、その発生原因を求め、こじ付け、
ひと括りにして論じることは、安直に過ぎますし過ちの素です。
以降の私は、ある事象に対して、何か“引っかかった”ときには、
その原因やそれを形成する遠因、状況などをよく見、調べるようになりました。
そうすることのメリットのひとつは、
大手メディアやお抱え評論家が“テキトーなコト”を言っていても
「それ、違うでしょ」
と秒殺できることです。
といってもテレビは外出先で“ながら見”する位で、事務所のテレビはかれこれ1年半程
コンセントを抜いたまま、薄型だけに壁の一部となっています(笑)。
見ていないのでNHKの受信料も払っていません。
地デジで画像は鮮明ですが、内容は見るも無残であり、
(日本中で今日起きた交通事故や火事を知りたいワケではないし、
その一方で、報ずべきことが一切報じられていない)
機能不全と、歴史的な役割の終焉が近いことを自ら証明しています。
これから長期下降線を辿ることは間違いありません。
これらのことは、インターネットの情報網に踏み込めば気付くことです。
既にネットが大きな役割を果たしています。
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※1
90年代を生き抜いた本邦金融マンであれば、当時の対米感情は芳しいものでは
ありませんでした(今は農家やJAの方々がそうだと思います)。
ですが、アメリカに限らず、外交とは常に“独善的”なものです。
『外交交渉には国家存亡がかかっている』わけですから至極当然のことで、
同じ土俵で取り組み(外交交渉)を“積極的に”しなければ、
いつまで経っても“お子様扱い”ですし、実際、子供同然です。